21世紀文学研究所

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佐藤優『自壊する帝国』 第八章

モスクワも収容所群島の一部だったわけだ。(「文庫版あとがき」)

 本書の弱点を一つ挙げろといわれれば、おそらくそれは「えっ」とか「まさか」とか「ふうん」とかが連発される、わざとらしい会話文だとしか言いようがないのだが、困ったことにロシア人は本当にこういう話し方をするのである。
 この本は、モスクワの学生寮で、ソ連初期の宗教哲学を学びながら、ハーレムのような生活をしていたリガ出身の学生サーシャが、故郷にもどってソ連を崩壊させる活動にかかわり、そしてソ連の崩壊後はどことなくうさんくさいビジネスマンになるまでの物語として読むこともできる。また、リトアニア共産党第二書記のシュベードは、ソ連崩壊後、金のためにジリノフスキー(「広島にもう一度原爆を落としてやる」と言った人)主導の自由民主党の幹部となり、サダム・フセインイラクとも関係を持つようになるのだが、こういった「変節」は、ソ連共産党の崩壊によるイデオロギーの転換だけでは、おそらく説明がつかない。
 気分が変わった、とでも言うしかないのだ。国家が崩壊するということは、その時点で自分が所属していたイデオロギー共同体がなくなってしまう、ということのショックだけではなく、信じていた人間がわずかな利益のために、容易に自分を裏切るということ、そして、なによりも、その荒波の中で自分の限界を見せつけられることで、自分を支えている屋台骨のようなものを崩壊させていく。この『自壊する帝国』は、政治的エスピオナージュというよりは、混乱期における群像劇としてきわめてすぐれている。そして、ロシアの群像劇は、おそらくまだ終わっていない。

マサル、処女が売春婦になると、すれてしまって一番質が悪くなる。シュベードは政治のプロではない。危険なところに踏み込みすぎている」(406ページ)