21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

J.コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』 「パリにいる若い女性に宛てた手紙」

夢だということは自分でもよく分かっていた。ただ、あの匂いだけがなじみのない、なにか異質な、夢の中の遊戯と関わりのないものに思えて、彼をひどく苦しめた。(「夜、あおむけにされて」)

 いささか暴走気味だということは自覚しながら、書けるときに全部書いておこうと思う。短篇がマイブームで、買い置きだったフリオ・コルタサルの短篇集も読んでしまった。コルタサルというアルゼンチンの作家については、巻末の木村榮一氏による解説が完璧におもえるので、この本を買ってそこを読んでいただくとして、わたしが拘泥したいのはただ一点、この短篇を清潔ゆえにかえってグロテスクにしている細部のことだ。
 子兔をのどから吐き出す、という不思議な癖のある男が、憧れの、おそらくは美しい、そしてパリにいるらしい女性の留守宅に住む。男は彼女の完璧な部屋の調和を崩すまいとして、コップを異動させることにすら戸惑いをおぼえるのだが、どうしても兔は吐き出さざるを得ない。ここで、男がピッコロ大魔王のように、涎まみれの兔を吐き出してくれれば、話は安っぽいコメディになるのだが、男が子兔を産みだす際の清潔さを強調するので、話はよけいにおそろしい。

子兎を吐き出しそうになると、二本の指をピンセットのように開いて口の中に入れ、気泡性の薬を飲んだ後、泡が食道を通ってこみあげてくるようにふわふわした生温かい産毛が喉のところまで上がってくるのを待つ。すべてがあっという間のことで、ちっとも不潔じゃない。何もかもが一瞬のうちに終わってしまう。その後、口から指を抜き出すんだけど、その指で白い子兎の耳をつかんでいるんだ。子兎はうれしそうにしている。(16ページ)

(『コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男』 木村榮一訳 岩波文庫