21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

大塚和夫責任編集『世界の食文化10 アラブ』第一章一「歴史的シリア」

数あるスフィーハの中でも絶品なのは、レバノンのベカー高原のバァルベックで作られる「スフィーハ・バァルベキーエ」である。パン生地は直径五センチほどの丸い形にまず分けられるが、真ん中に塩と香辛料の下味が付けられたヒツジの挽き肉とトマトとタマネギのみじん切り、松の実の具をちょいとのせると、それを四方から包み込む形で一辺三、四センチの正方形に整形する。中央に具が少し顔を出す格好である。これがオーブンで焼き上がると、その場でレモンを搾りかけながら口に放り込んでいくのである。パン生地がパイのような歯ごたえになり、肉汁とレモン汁が絶妙にマッチし、二〇個くらいあっという間に食べてしまう。(59ページ)

 このシリーズは私の愛読書なのだが、この章を書いた黒木英充さんほど美味しそうにものを書く人を私は知らない。この本全体、食に関する個人的なエピソードからはじめ、できるだけ多くの料理をレシピを合わせて紹介する、という編集方針があるようで、読んでいて食欲がかきたてられること間違いなしなのだが、ともかく、この「歴史的シリア」の章はエネルギッシュである。隣接するイラクの章は、岩波新書の『イラクは食べる』でも有名な酒井啓子さんが書いており、社会学的分析もまじえバランスの取れた、すばらしい書きぶりなのだが、それでもこの章の美味しさには適わない。
 食文化を紹介するにあたり、いろいろ書く方法はあるのだろうが、このアラブの一冊は、以前読んだ『タイ』と並び、「美味しそうに書く」ということに関しては最高に秀でている。もちろん、フランス料理やイタリア料理などに書くとすると、レシピも味もわりと巷間に流布しているので難しいことはあるだろうが、こういうのを読んだ方が、その地の食に対する愛は湧く。

(『世界の食文化10 アラブ』 農文協