21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

鹿島茂『オール・アバウト・セックス』

換言すれば、室井佑月の小説はどんなときでも「ほてって」いるのだ。(「売春しない理由」)

 言葉は昇華すればするほど堕落する。むかし、「ごっつええ感じ」でダウンタウンの松ちゃんが言っていた表現を借りれば、「フリはきかせればきかせるほど自分が不利になる」。より端的にいえば、性について語るとき、フーコーバタイユをたくさん引用すれば、より下衆になる。鹿島先生のこの書評集に関しては、そんなことはまったくない。官能小説や風俗関係の証言集はもとより、縄師の作品集から宝島のムックまで読みこなし、実地のエロをいくので、電車の中では読みづらいがゲスなことはまったくない。そんなことを考えながら読み進めていくと、次のような評言にぶつかる。

ところどころにバタイユクロソウスキーのテクストが挿入されるのは、エロ本をレジに出すときに哲学書を上に置くような感じでいただけない(「やあねー、ノーマルなんて」)

さすが、私なぞより余程わかってらっしゃる。そもそもセックスについての話は、身体論の中でももっとも好まれるところだが、なにかと胡散臭くていけない。しかし、この本、「ブラジャーとコルセットの無意識」の章に展開される、クレタ文明からギリシア・ローマ文明、ルネサンスにまで至る「おっぱいの文化史」をはじめ、本気で読める論考に満ちている。

『オール・アバウト・セックス』 文春文庫)