21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

Ⅰ.マキューアン『贖罪』 第三部

人間とは、まず第一にひとつの物体であって、たやすく裂けるが修復は難しいのだ。(下巻192ページ)

第一部でマキューアンが描いたドラマが、できそこないのパロディのようなものであるとしたら、第二部の戦場、第三部の病院を描くこの筆は一体なにものによるのだろう。姉と幼なじみの、ただ一つの愛を邪魔し、彼らの人生を狂わせたブライオニーは、ドイツ軍との戦いで傷を負った兵士たちを収容する病院で看護婦となる。
自分の妄想のなかで生きる彼女が出逢った現実はすさまじく、それを描く筆はレフ・トルストイにも匹敵する、と思われるほどだ。(と、いうことは、意地悪な見方をすれば、これはやはり『戦争と平和』のパロディなのかも知れない)。身体というものに違和感、あるいは量産品としての軽視しかもっていなかったブライオニー≒マキューアンが描く、兵士たちの治療の場面は感動的にうまく描かれており、痛みに耐えかね「ファーック!」と叫んでしまう男の声は耳に聞こえるようだ。
しかし、ここまで感覚に訴えられた読者にとって、この作品の結末はなにものか? 第一部で不完全燃焼だったロマンスは、別の形の不完全燃焼におちいる。
この作品はイギリスで大学受験の教材にも選ばれているが、初期のマキューアンは猟奇殺人や近親相姦をテーマにした作品を描く、およそ教育的ではない作家だった、と「解説」にある。不思議にこの一節が、頭から離れない。