21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

篠田節子『聖域』

 久々にエンターテイメント小説を読んで、読むのがやめられないという体験をした。けれども、篠田節子の『聖域』に、特別な登場人物はあらわれない。退職したアル中の編集者、篠原の荷物を整理していた29歳の実藤は、「聖域」と題された未完の原稿に出逢う。幾人かの編集者、そして作家の人生を狂わせてきたらしいこの原稿に、実藤も魅入られていき、原稿を完成させるため、作者の水名川泉を探して東北の奥地を彷徨うようになる……きわ立ったキャラクターが登場しないばかりか、プロットもどちらかというとありきたりだ。だが、山海の珍味を集めて大仰な料理をそれっぽく仕上げることは、平凡な作家にもできるだろう。この小説に登場する人間は、どちらかというとスーパーで買ってきた野菜のようで、霊媒師(イタコ)にして作家の水名川泉でさえ、ちょっと珍しい野菜にすぎない。ただ平凡な登場人物たちは、徹底した作家の技術のもと、徹底的に搾り取られ、そのすべてを出しつくして崩れていく。人間の芯がむき出しになった状態は、やはり私たち自身を思わせるほど、真実に近い。

「何かに憑かれているように見えますが」
「『聖域』という優れた作品に」
「いいえ、優れたとか強いとか、そういう言葉に取り憑かれたのです。餓鬼道に落ちた者が、いつも飢えに苦しんでいるように、あなた達は、食物よりもっと不確かな実態の無い物に取り憑かれ、いつも飢えて苦しんでいるんですよ」
(342ページ)

(『聖域』 集英社文庫