21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

四方田犬彦『ハイスクール1968』 第一章

とりあえず次の引用をはやく皆さんに読んでほしくて。

これはひとつには、中学校で受けた厳格な音楽教育が影響していた。多田逸郎という音楽教師は日本で有数のリコーダー演奏家であり、授業の始めにはかならず生徒たちを起立させ、「真に偉大な音楽とは」と尋ねるのだった。すると私たちは命じられた通りに「バッハ! ヘンデル! テレマン!」と、声をそろえて答えなければいけなかった。この儀式の後で彼は「しかし後期ベートーヴェンを加えてもよい」とか、「パーセルにも学ぶべきところがある」と、その時の気分によって玄妙な註釈を加えることがあった。彼はあるときには一言「エレキ、くたばれ」といい、それを生徒たちに復唱させた。わたしたちは声を大きくして応じた。「エレキ、くたばれ! エレキ、くたばれ!」(第二章)

四方田氏は、私もそこで何年間かを過ごした町にある、えらい高校の出身だが、第一章では、その学校のえらい教師たちのことが主に語られる。かれらは現代詩や映画、実存主義構造主義、といったそれぞれの「持ちネタ」を持ち、高校生たちに大きな影響を与えていく。25年ばかり後に関西で私が過ごした高校時代にも、魅力的な先生がたがたくさんいたが、かれらの「持ちネタ」は1968年の教師たちには遠く及ばなかった気がする。しかし、さらにそれから10年が経った今このときに、1968年の教師たちを「魅力ある」、というには些かのためらいがある。どっちかと言うと、「キャラが立っている」、という言葉で飾りたくなってしまう。(引用の中学教師は別としても)。なぜだかは、よくわからないけれど。

(『ハイスクール1968』 新潮文庫