21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

A.ベンダー『わがままなやつら』 第七話「果物と果実」

神さまが作家の頭に拳銃をつきつけた。
ルールを決める、と神さまがいった。今後は一語たりとも書いてはいけない。書いたら撃つよ。いいか? 神さまは東海岸の訛りで話、ギャングみたいにドスが利いていたが、しわだらけのその顔は弱々しくてエーテルみたいに頼りなかった。
(「ジョブの仕事」)

 「果実と果物」は、いくぶん分かりやすい短篇である。ラスベガスで結婚式を挙げる予定が、とつぜん男に逃げられた女の子。どうしてもマンゴーが食べたくなり、見つけた店ではフルーツのほかに単語を売っていた。そこで気体の単語を壊してしまった主人公は……ありきたりのホラーだが、徹底して細工した小道具がとても輝いている。そして、それが言葉だというのだから。

私は突然、過去七年間感じたことがなかったほどの自由を感じた。お店ごと欲しくなった。プラムジュースのお風呂に入り、自分の体を再発見して、それをキウィの輪切りで飾りたかった。私はマンゴーをかじった。皮はすぐに破れ、厚くて濡れた果肉が口につるりと入ってきたが、それは熟れた果物が惜しみなく与えてくれる、どぎまぎするくらいの官能だった。(93ページ)

 エイミー・ベンダーの言葉に対するフェティシズムは、ちょっとアレな感じがするくらいすごい。作家であれば多かれ少なかれ、言葉への愛を持っているものだが、彼女の場合、やはり愛というよりもフェティシズム。そうでなければ単語を成型して売ったりはしないだろう。ましてや、果物の官能にそれを比すなどとは。