21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

A.ベンダー『わがままなやつら』 第六話「マザーファッカー」

その日二人が愛し合ったときそれはあるべき姿に一歩だけ近づいていて彼女は終わってからワインを持ってきて二人は腰をおろし緑色のカーテン越しに、裸のまま、深いおなかをしたワイングラスを手にして日没を見つめたのでした。緑は暗くなり黒になった。彼は手で彼女の脊椎をひとつずつたどって行ったが彼女はいわなかった、くすぐったい、やめて、と彼女がいうかもしれないと彼が思ったようには。彼女はただ色の消えたカーテンから外を見ているだけで彼女の髪はある角度で、はらりと垂れていた。彼は彼女の背骨全体に、ひとつ、ひとつ、ひとつ指をつたわせ、そうしているあいだ、彼の脳は完全にしずかだった。(「出会い」)

 引用したのは、爬虫類と魚が好きな女と出会ってしまい、どうもちがうなあ、と思っているが、なんだかそのうちしっくりいってしまう男の話。そのほか、余命二週間を宣告された男十人の話など、どうにもこうにも、「ヒットエンドラーン」な感じの文章なのだが、そのせいか、あるいはそのためか、いやそれとも、それゆえか、不思議に美しい短篇群ができあがっている。とくに、はしたない表題がつけられた「マザーファッカー」はそうだ。
 男は未婚の母ばかりを狙う結婚サ…、ではなくてカサノヴァなのだが、どんな女でも一晩のうちに落とす能力を持っているのに、ある新進女優(やはり母)にはなかなか手を出すことができない。わずか15ページたらずの小説は、その二人が結ばれるまでの短い物語だが、このどうでもいいありきたりな物語が、鳥居みゆ…、じゃなかった、エイミー・ベンダーの手にかかると、緊密感のある見事な短篇に仕上がる。正直ここで普通の文章でその魅力を伝えることは難しい。だか、母親がマザーファッカーと愛を交わしているとき、その男の子の夢が「雷と電気のソケットに手をつっこんでしまった少年の運命をめぐる夢に変わった」、と平気でかけるようなその壮絶さにぜひ触れてほしい。

欲望は閉ざされた空間を必要とする。欲望はドアや窓から、あるいはブラインドの羽板やほんの小さな穴からでも逃げ出してゆくのだけれど、それは空の下では居場所がない」(80ページ)

(『わがままなやつら』 菅啓次郎訳 角川書店