21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

J.バーンズ『イングランド・イングランド』 第一章

じつは単純な楽しみなどもはや存在しないことを知ってもいた。一切れのコールド・マトン・パイを楽しみにしつつメイポールの周囲を回りながら踊る乳しぼり娘とその恋人など、もはや存在しない。とっくの昔に工業化と自由市場がすべてを葬り去ってしまった。今や食べものは単純ではなく、昔ながらの乳しぼり娘の食生活を再現することはきわめて困難だ。飲み物は今日ではさらに複雑だ。セックスは? よほどのばかでもないかぎり、セックスが単純な楽しみだなどとは考えまい。(第二章)

 英国ほど、国そのものが語られる国もめずらしい。かつて世界を支配し、その言語が世界中に蔓延している国としては当たり前かも知れないが。文学、映画、ロック、ありとあらゆる分野においてイギリス人は英国に触れ、世界中の人がなんとなくそれに目を向けざるを得ない。
 ジュリアン・バーンズの『イングランドイングランド』は、イングランドの小島に、イングランドを模したテーマパークを建設する物語である。第一章では、その設立メンバーに、「アポインテッド・シニック(任命皮肉屋)」として雇われたマーサの少女時代を描いている。
 第一章のモチーフは、イングランドの州を嵌めこんでいくジグソーパズル。ノッティンガムシャーのピースとともに、蒸発してしまった歴史を持つ彼女は、記憶の真実性を疑っている。彼女にとって人間は、記憶のパズル、パズルの記憶で構成されており、その流れでは、若干わかりきってあざといほどの指摘だが、歴史も組み合わされて、都合のいいように修正されながら形成されている。
 歴史、そして人間の感覚に対する不信感は、文学者ならだれでも表明したくなるところだが、「爛熟」という言葉が一番似合うイギリスの作家が言えば説得力がある。なにしろイギリスはニートの先進国なのだから。

(『イングランドイングランド古草秀子訳 東京創元社