21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

J.M.クッツェー『マイケル・K』 第一章

「特徴は、遠景にロビンソン・クルーソーを配しながら、引っかけとしてカフカの作中人物を思わせる「K」という文字を使ったこと、病院の食べ物を食べずに痩せ衰えていく主人公マイケルを「治療」しようとする若い医師を第二章の語り手として登場させたこと、だろうか」(「訳者あとがきに代えて……」)

 クッツェーのこの小説を読んで思い出すもの。吾妻ひでお失踪日記』、カフカ『審判』、高橋和巳邪宗門』、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』、ソルジェニーツィンイワン・デニーソヴィチの一日』、S・キング『ファイアスターター』……恣意的な連想だが、とくに『邪宗門』との連想は深い。母の遺灰、断食と飢餓、マイノリティとして受ける弾圧。本書は、くぼたのぞみさんによる、素晴らしい訳者解説を備えているので、アパルトヘイトの時代に、近未来の戦争を想定して描かれたこの小説のなりたちや、本書の大きなテーマである「暴力」についてはそれを読んでほしい。だが、現実と離れることを望みながらも、「子供たち」=野菜を育てることで、ふかく世界と関わりあうマイケル・Kと、山中の宗教団体で育ちながら、行動革命を起こそうとする『邪宗門』の主人公、千葉。両者は決定的に違うのだが、不思議と、現実とのいびつな関わりかたにおいて似ているのである。
 
彼の身体には骨と筋肉しか残っていなかった。衣服はすでに、原形をとどめないほどぼろぼろになって身体からぶらさがっていた。それでも自分の畑のまわりを動きながら、そんな肉体の状態に深い喜びを感じた。足取りは軽く、ほとんど地面に触れないくらいだ。これなら飛ぶことだってできる、肉体のまま霊魂になれそうだ。(149ページ)

(『マイケル・K』くぼたのぞみ訳 ちくま文庫