21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

古井由吉『白暗淵』 第十一話「潮の変わり目」

どこぞで続いていた工事の鳴りをひそめた際でも、表の通りの車の往来がまれに途切れる隙(ひま)でも、音の変わり目の内に悟りの境はあり、したがって人はいつどこででも悟れそうなものの、そなわるのは悟りの下地ばかりで、中身はたいてい空白のままに留まるが、しかしまた考えてみるに、人は生涯、それ以上のものを望めるだろうか、と言う。(215ページ)

 文字どおり、「潮の変わり目」は本作の潮の変わり目、をあらわす一篇である。世界を騒がしている音が、あるいは微かな雫の音が、あるとき突然に無音のようになる。そのときにこそ人は人でなくなり、悟りもすれば、狂気にもなる。そんな話をひとしきり聞かされてから、語りは夢の物語に移る。
 とある行く先知れずの船の中で、毎日荷物を運び移すだけの労役をする夢。目的の分からない単純労働は痛苦の様でもあるが、食事も充分、現世とはちがい睡眠も充分に取れる。その平穏を支えているのは、唸り声のような、不気味なざわめきの騒音である。その騒音が自分を麻痺させるので、ありとあらゆる欲求が軽減され、時間の流れも分からないほどに、自身はただひたすら平穏になる。夢のなかには、毎夜、ともに寝てくれる女もいるのだが、その女を抱いていても、その女に会っている気すらしない。

あの連中は何に怯えているのだろう、とある夜、たずねていた。まだ生きていることに怯えているの、と女は答えた。死ぬことに怯えるのではないのか、とたずね返そうとしたが、物をたずねて答えられたことへの驚きのほうがまさった。(228-229ページ)

作品集の、潮の変わり目には、これまでのテーマがいっせいに流入する。生と死、音と無音、飢餓と飽食、夢と現実、空間と非在。不可分に結びついた両極は、その意味が逆転する場所で、人間の在り方そのものを変えてしまう。