21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

古井由吉『白暗淵』 第六話「白暗淵」

 文学というのは、カジュアルな話題に向かない。そもそも、同じ読書体験を共有している人を探すのが大変だし。興味もない人を前に、深刻な顔をして知識を垂れ流すのも気色悪い。やはりサラリーマンの話題の王道はプロ野球だろう。と、いうわけで、文学の話はいつもどおりブログで垂れ流すことにする。
 「白暗淵」は、静謐、ということばが実にしっくりくる、美しい短篇小説だが、その実、亡失と未生に関するあまりにも饒舌な会話が作中には登場する。おさない頃、空襲で両親を亡くした主人公、坪谷は、生と死を舌先にころがすような贅沢を身に戒めている一方、存在論やこの世の起源を語りたがる友人、北本にどこか惹かれている。必然として、北本の語る原初の混沌、有と無の物語が、二人の会話として作品中に流れこむ。話題となるのは、われわれはなぜ生き、この世はどのように生まれたか、という生臭い存在論ではなく、あくまで始まりのカオスを光景として捉えたい、というゆるやかな欲望が二人の会話を支える。

神通力が、落ちたよ、とつぎに北本が話したのはそれぞれ職に就いて二年もした頃で、どちらも背広を着ていた。(118ページ)

学生時代を終え、現実に塗れる生活の中で、二人の肩からは混沌に対する欲望も予感も「落ちる」。憑き物が落ちるとともに、物語は死から生へと流れる。それが良いことがどうかは分からない。しかし、この作品の完成度は誰か人に語って聴かせたくなるレベルである。現代小説がたどり着いた、局地の一箇所であろう。