21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

古井由吉『白暗淵』 第一話「朝の男」

街は躁がしいようで実は無音の境に入りつつあるのではないか(「地に伏す女」)

 期待して読みはじめた古井由吉の連作短篇の、ひとつのテーマは「音」、あるいは「無音」であるようだ。世界は乱雑な音に満ち溢れているようであっても、その実沈黙している。それはあるいは、自己の意識が昨日今日明日をさまよううちにそう聴こえるのかも知れないし、じっさいに鉄道会社や建築機械会社の努力によって、騒音が消されているのかも知れない。
 「朝の男」も「無言」の話からはじまる。会社ぐるみの不正の中心となって働いているらしい男の、不快な無言。男は無言の中で古い記憶を呼び覚ます。じぶんが子供時代に体験した空襲の朝、奇妙なほどに落ち着いて歩いていた男を、子供時代にはスパイではないか、と疑った。それから二十年ほどのサイクルで、かれは朝の男のことを思い浮かべる。記憶の中で、スパイはただの人となり、あるいは家族の安否を思う男となり、さらには回想する自分自身とかさなりあう。

それが五十も過ぎて、男の背に自分の影を見ていることに気がつく折があり、人は自身のたどって来た道をじつは知ることがなく、およそ無縁の他人の背に、現在のだろうと過去のだろうと、目を惹かれて初めて、自身の来た道が背後に伸びて、わずかに見えてくるのではないかと疑った。(21-22ページ)

 しかし、もう一人、朝の男をみたという男に出会うにいたって、記憶は音を取りもどす。分身か幻想として納得されかけていた男は、もう一度ひとりのスパイに立ちもどり、自分とその縁者を救うために、他人を売り渡した男として、あるいは赤い太陽とともに立ちあらわれる怪談の登場人物として、もう一度想起される。
 音のある幻想が現実か、はたまた無音の中で煮詰められる記憶が現実か。それは、誰にも分からない。

(『白暗淵』 講談社