21世紀文学研究所

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多谷千香子『「民族浄化」を裁く』 第三章

 アメリカ大統領選の陰で、ほとんど無視されているようなニュースではあるが、セルビアコソボ自治州が2月17日に独立を宣言した。アメリカは賛成しているが、ロシアやスペインなどは反対している状況であり、当事国セルビアでは、独立に対する賛否が一致せず、議会が「反対」で一つにならないことを理由に、首相が辞任するまでになっている。オシムも日本代表監督ではなくなり、旧ユーゴに日本人はより目を向けなくなっているが、ユーゴスラビアの内戦時に、クロアチアの独立承認をめぐって各国の足並みがそろわなかったことが、内戦勃発の一因となったことを考えれば、無視していて良いニュースとは思えない。そこで、2005年に書かれたこの本を紐解いてみた。
 著者は、旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所の判事として、戦犯の審理に活躍した人である。法律家の文章らしく、論証はクリアで、事実を公平に見つめているので非常に読みやすい名著だ。第一章で戦犯法廷の意義、第二章でユーゴスラビア内戦の略史が語られた後、第三章で法廷における証言をもとに、「民族浄化」の現実が語られる。「民族のモザイク」の中で、ある種歴史的必然として、民族同士の憎悪が悲惨を引き起こすのではなく、あくまで個々の人間の私利と私欲が、他民族の横暴という宣伝を生み、それが引き起こす憎悪の流れに乗じない「普通の」人びとが抑圧されることにより、さらなる悲惨を呼びおこす、ということが明確に記述されている。(たとえば民族浄化に消極的な人びとが職を追われる、というような状況)。
 たとえば世界における悲惨、世界における悪を、ナチスユダヤ人虐殺や9.11のテロに集約してしまう、ということをマス・メディアや言論は行なうが、そういった悲惨を生むのは、ある特殊な土地でも憎悪の歴史でもなく、人びとの単純な欲望や憎悪であることが分かる本である。

(『「民族浄化」を裁く ―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から』 岩波新書