21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

落合博満『コーチング』

私は、落合博満というプロ野球選手を”欲の塊”だと思っている。あらゆる面に欲深く取り組んでいたから、余分なプレッシャーを感じる暇などなかったのだ。(第五章 勝ち続けるために、自分自身を鍛えろ!)

 何回かここにも書いているとおり、私は筋金入りのヤクルトファンを自称している。和を重んじて部下をたてるタイプの小川監督に率いられた2011年のヤクルトは、近年にないくらい美しくて、真剣に応援していたのだけれども、それでも昨年末は中日が優勝してよかったように感じた。それくらい、落合博満という人の演出力がすごかったのだ。
 最大10ゲーム差を逆転しての優勝とか、シーズン途中での解任劇だとか、そういうよく知られたことはさておくとして、まあ、たしかにドラゴンズの戦いぶりはスワローズよりもどこか一歩美しかったのだ。それは、もちろん予言者ではないのだけれど、すべてを見透かしたようなもの言いをして、選手を安心させる落合監督の姿であり、それについていく選手達の姿だったのだ。たとえ数年前には、セサルが彼のイチオシ外国人だったとしても。
 ちなみにこの本は古い本である。中日の監督はおろか、コーチの経験すらなく落合はこの本を書いている。むろん、もっと説得力のある内容を読みたければ、昨年出た『采配』の方を読めばいいのだけれど、横浜のキャンプで多村を指導しただけの段階で書いている、この本でも落合はブレていない。このブレのなさが魅力なのだろう。「部下を信じられなければ失敗する」と言ってくれれば、サラリーマンとしてはすがりたくもなるし、「自分がいなければ困るだろう、は自己満足」と言われれば、最近の自分を思い返して目が覚めたような気にもなる。新聞のどっかに書いてあったけれど、『采配』を読んだ人は管理職のオッサンたちではなく、20代から30代の若手ビジネスマンが中心だった、というのもうなずける話だ。
 2011年の後半に、落合博満ほど自己イメージを改善した人はおらず、停滞感のある日本のサラリーマンの心を鷲づかみにした人もいない。自分もそれなりに染まっていたのだけれど、ひとつ違和感を出すとすれば、この人がガッツリ「意趣返し」をして去っていったことにあるだろう。自分の解任後、中日の負け試合で球団幹部がガッツポーズをした、というようなエピソードをさらっとリーク、後任の高木監督がやりづらい状況をしっかり作って去っていった。なんかまあ、昨年の給与交渉で侮辱された、ということを持ち出した杉内っぽいことを言って去っていったのである。しかしながら、日本人の美学にそえばそんなに美しくないその行為を、なんとなく私たちは爽快なような気持ちで見てしまったのだ。あれは一つ、時代の空気が変わった時期だったのかも知れない。

(『コーチング 言葉と信念の魔術』 ダイヤモンド社 2001年)