21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

鴻巣友季子『翻訳教室』 「第一章 他者になりきる」

では、この壁を打ち破って想像力の枠を広げるにはどうしたらいいでしょう? いきなり想像力だけを広げることはできません。想像力を豊かにするには、経験や知見の土台が欠かせないからです。しかし経験を広げ、知見を深めるといっても、例えば被災地に赴いてボランティア活動をするとか、世界各国を旅してまわるとか、学校を辞めて社会で働いてみるとか、そういったことには限りません。また、もっとも大事なのはそのなかでいろいろな「感情」を経験するということなのです。そのためには、読書というのはとても有効だとわたしは思います。(11−12ページ)

 鴻巣友季子さんという文章家の最大の美点は、体験を繊細なレベルで言語化できるということだろう。むろん、本書にも「翻訳とは深い読書のこと」とあるように、原文をじっくり読みこんだ上での翻訳と、その解説もすばらしいのだけれど、やはり、出産と『嵐が丘』の翻訳について書いた『孕むことば』がとても繊細に私の心をつかんだように、じぶんで体験したこと、その感覚を、正確に言語化したときの魅力はそれにまさるものがある。そして、この『翻訳教室』において、その体験とはやはり先の震災であったようだ。
 震災の報道で感じた「想定」という言葉に対する違和感を、彼女は「想像力の壁」というふうに書く。ふつう、「想像力」というのはよいものなので、「壁」ではなくてどちらかというと「翼」のように、限りのない世界に向かってはばたくもの、として書かれがちなのだけれど、どうやら震災は彼女にふつうの「想像力」というものの限界を感じさせたらしい。しかしながら、その「壁」の存在に気づいてそこで諦めたりはせず、その弱々しい想像力を酷使する、その方法について考えはじめている。そして、小学生に翻訳を教えるという形で、「異物」とのコミュニケーションについての考えを深めているのだ。
 この本は、小学生向けの授業風景を、中高生くらいに向けて書きつたえているので、とても読みやすく、読みやす過ぎてむしろ読みにくいくらいなのだが、想像力というものの弱さ、そして異物とのコミュニケーションの難しさと楽しさを、とても正確に描き出している。

(『翻訳教室 はじめの一歩』 ちくまプリマー新書 2012年)