21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』 第5章

カントは、政治家を信頼する人がいなくなるよりは、政治家の否定の言葉が一言一言吟味されるような状況のほうがましだと言っているわけではない。それは結果主義的な議論だ。カントが言いたいのは、誤解は招いても嘘ではない言葉は、真っ赤な嘘のように聞き手を支配したり操作したりはしないということだ。注意深く聞いていれば必ず、その言葉が嘘かどうかは見抜ける。(220ページ)

 今日はすごくくだらないことを言いたいのだけれど。サンデル教授の、面白いんだけれど5章まで読んだところではどのへんが「これからの正義」なのか分からないこの本のなかで、カント哲学と嘘の否定について書いたこの部分はとくに面白い。上にも引いた通り、誤解を招く表現でごまかす方が、完全な嘘をつくよりいいのだとしていて、例としてモニカ・ルインスキーに関するクリントンの表現があがっている。ここで一回、「そらあかんやろ」、と笑う。しかしみんなが嘘をポンポンつくようになれば、誰も人の言葉を信じなくなり、嘘そのものの効用もなくなる、というのは空おそろしい真実でもある。なかなかこの本は、哲学小咄としてよくできているのだ。
 それでもって、話の本筋とは別に、「私はある女性と関係を持ちました。そのことをもみ消してくれるという人に、私を守ってくれるのだと思って1億円払いました」、と認めてしまうのはカント的にどうなのだろう、と思ってしまった。これが、くだらない話。

(『これからの正義の話をしよう』 鬼澤忍訳 ハヤカワ文庫 2011年)