21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

野村克也『野村ノート』

 最近は『伊藤計劃記録 第弐位相』を読んでいるのだが、その前のやつで出しつくした結果、カフカ的な状況に陥っている短篇類はおいておくとして、ブログからの転記に打ちのめされている。本人が書きなおしたわけでもないのに、ブログの文章でこの読みごたえはどういうことか。映画に対しての愛情もさることながら、細部までじっくり観ている視線のじっとり感に、自分のいたらなさを思い知らされる。この人は兼業作家であったというのに。
 さて、そんな私はと言えば、もっと卑近な思いで野球の本を読み続ける。とくに、サラリーマンが上司の悪口を言うときの気持ちで、監督の本を読むのが最近面白い。この『野村ノート』も、「古田は年賀状ひとつよこさない」という一節に苦笑しながら読んだわけだが。
 ただ、ふと思ったのは、プロスポーツの世界の「上司」たちは、露出が多いぶん、損をしているなあ、ということだ。ビジネスの世界での「良い上司」たちは、実際に部下にどう思われていようと、ビジネス誌のインタヴューや、かれら自身の書いた本で自慢話をしていれば、それにツッコミを入れる要素はすくない。一方で、野村監督はあれだけの実績を残しながら、年賀状をよこさない方の古田にもメディアでの発言の機会が与えられているわけだし、阪神でダメだったことも、伊藤智仁を酷使して選手寿命をちぢめてしまったこともみんなが知っている。そこをあえて自慢で押してしまうと、そこに苦笑が生まれるわけである。(もっとも、野村監督は苦笑されてることも含めて自分のキャラにしてしまっている感があるけれども)
 世の中、一筋縄では行かないなあ、と思いながら、今度は正力松太郎について書いた『巨怪伝』をひもとくのであった。
 あ、本文の内容にまったく触れていないが、野村監督は野球を面白く語る、ということに関しては天才だと思います。最近、落合監督ファンの私でも、ランナー1、3塁を語った一節には、文章なのに手に汗握りました。

(『野村ノート』 小学館文庫)