21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』

そこから、さらに政治的ジョークは、《通風弁》であったばかりではなく、そうした体制への順応にたいする《心理的アリバイ》(H・シュバイツァー)としての機能もあったかもしれないという、まことにうがった解釈も出てくる。すなわち、権力からの締めつけに反対して立ち上がろうとはしない反抗の欠落について、深層意識においてひそかに抱かれている自己非難の感情を抑圧し、堪えやすくするためのアリバイかもしれない、というわけである。(Ⅳ「地下の言語」)

 ナチ言語の言語態分析を期待して読むと、ちょっと肩透かしを食う。最初の10ページくらいは、ヒトラー演説における最上級の多用や、時間の次元の拡大を取り上げているが、その第一章も後半戦においてはシンプルな概念分析に落ち着くし(ただし、この《自然法則》と《摂理》に関する論の展開は非常に読みでがある)、第二章以降においては言語の話ですらない。つまり、この本はあとがきにしっかり書かれているとおり、ナチ時代の演説、映画、教育、ジョーク、夢、それぞれに関する読み物として間違いがない。
 ただし、この読み物はそれぞれに中身が分厚い。とくに第三章、ヴァイマル時代の教科書からナショナリズム民族主義のめばえ、そしてイタリア・ファシズムに対する評価を汲み取る部分はスリリングである。つまり政治がダルいとき、人びとが安易にもとめる「強さ」についての警告として。

(『ナチ・ドイツと言語 ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』 岩波新書