21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

J.Eugenides "the virgin suicides"

There had never been a funeral in our town before, at least not during our lifetimes.(two)

 ソフィア・コッポラの映画で有名な「ヴァージン・スーサイズ」は不思議な小説である。第二次世界大戦後、だれも死んだことがないというほど小さな町で、美人で有名な五人姉妹の末娘が自殺する。厳格なのか、世界と交わるのを恐れているのかよく分からない、彼女らの両親は娘たちへの監督を強め、五人の中でもとくに美人で有名なラックスが、たった一度きりのダンスパーティーの後、思わぬ朝帰りをしたのをきっかけに、完全に社会から家を孤立させてしまう。そして世界から孤立した少女たちは、どっちかというとイケてない男たち(=語り手)が彼女らを「助けに」やってきた夜、一斉に衝撃的な死を遂げる。
 正直とてもキモい小説である。なにしろ語り手は、彼女らの死をもてあそぶTVレポーターたちに反感を持ちながらも、ゴミ箱をあさってでも(多分)、彼女らの「遺物」を探し出して保存し、分類し、町を捨てた両親にまで突撃インタヴューを試みるのだから。ちなみに作者のユージニアスは、映画DVDのインタヴュー映像で見る限り、どう考えてもこのキモい語り手たちに似ている。
 だが、ヘビトンボが町中を飛び交い、その死体を曝しても、社会から隔絶しひきこもったリスボン家から謎の異臭がしても、そして何よりも、美しい五人姉妹の自殺というテーマや、ラックスの行う屋根の上でのセックスがあからさまに扇情的でも、なぜかこの物語は美しいのである。
 町は美しくなく、エピソードも美しくない、あまつさえ五人姉妹ですら、ラックス以外は言うほどの美人ではないと序盤で語られる。つまり語り手の男たちは、これ以上ないくらい醜悪な世界の中に、無理やり「聖域」を作り出しているのだ。ペーパーバックのアオリ文句には「現代のa Catcher in the Rye」と書かれているけれども、どちらかと言うと私には「The Great Gatsby」を連想させる。
 ところで私の英語力はすらすら小説が読める、というほどのものではないが、曖昧な理解のなかでもやもやしたまま読んでいると、この小説は余計に美しく見える。それはむかし子供のころに背伸びして世界文学の名作、と呼ばれるものを読んでいたときのように、理解とのほどよい距離が妄想をかきたてるからかも知れない。

began to fade, no matter how religiously we meditated on them in our most private moments, lying in bed beside two pillows belted together to simulate a human shape. We could no longer evoke with our inner ears the precise pitches and lilts of the Lisbon girls' voices.(four)

the virgin suicides, BLOOMSBURY, 1993
ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』のタイトルで邦訳があるらしい。(ハヤカワepi文庫)