21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

『稲盛和夫の実学』 第三章「筋肉質の経営に徹する」

私が言う人間として正しいこととは、たとえば幼いころ、田舎の両親から「これはしてはならない」「これはしてもいい」と言われたことや、小学校や中学校の先生に教えられた「善いこと悪いこと」というようなきわめて素朴な倫理観にもとづいたものである。(序章「私の会計学の思想」)

せんだってフィッツジェラルドの話のときに、文学者がヒーローである時代は過ぎ去った、と述べたが、ある意味現代において、社長というのはふるい意味での文学者かも知れない。その人のペルソナ、言うことが面白いか否か(と言って問題があれば、納得できるか否か)は、たいへんに重要な意味を持つし、なにしろ大企業のCEOともなれば、現代の小説家がとても期待できないほどの数の熱心な読者を常時持つことになる。
 そういう意味で、さきごろJALの会長となった稲盛氏というペルソナージュは、かなり強烈な「文学者」だと思う。これは、小さな本で、しかも原本は十数年もまえに刊行されたのだけれど、圧倒的な説得力で私のような一サラリーマンにも迫ってくる。「人間として正しいことをしなければいけない」というような哲学は、現代では小説家も哲学者もその自家中毒ゆえに言えなくなってしまったが、稲盛氏は言う、そして、それが響く。
 第三章は「企業は永遠に発展し続けなければならない。」、という強烈な一文で始まる。経済学者がぜったいに吐かないような言葉を確信をもって言えてしまう強さはもとより、この章の内容がとても好きだ。曰く、「中古品で我慢する」「セラミック石ころ論」「当座買い(一升買い)の精神」など、現実感覚がなければとても言えない事ばかりである。実際に、エクセルで処理したほうが早いような作業に大がかりなITシステムを導入したり、無闇とハコ(オフィスとか)ばかりが立派だったり、ということが見聞きされる昨今、ものづくりの根本である生産機械まで、古いものを徹底的に使い、その生産性を経営者自らが見極める、という話は鮮烈だし、「まとめ買いによる割引にだまされず、当座に必要なものだけを買う、そのほうが社員はものを大切に使う」という内容は生活のうえでも真理だと思われる。(本はまとめ買いしないようにしよう)。
 「帯久」のような上方落語を読んでいても思うが、関西の商売人(稲盛氏はうまれは関西の人ではないけれど)の倫理観・現実感覚はとても強いと思う。関西人のはしくれとして学ばなければなるまい。

(『稲盛和夫実学 経営と会計』 日経ビジネス人文庫