21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

N.F.ケーン『ザ・ブランド』 第五章「エスティー・ローダー」

「美容院、あるいは人の幸せに貢献するものは、何であれ、確実に人類の役に立っているのです。新しい、『ヘアスタイル』で幸せな気分になっている女性が、大きな危機に際して立派に貢献するかもしれないではありませんか」。(245ページ)

 「美は世界を救う」と書いたのはドストエフスキーだが、上の引用は、「戦争中に美を追求するなんてバカらしい」と書いた小説家に対するアメリカの主婦の反論らしい。美が世界を救うかどうかは分からないが、戦争中も化粧品会社が売上の20%を広告につぎ込んでいた国は勝ち、化粧品の生産を完全に禁じた国は負けた。
 ところでさすがに女性が書いた本だからか、この章は力が入っている。なにしろ、エスティー・ローダーの話なのに、古代エジプトから話は始まる。「化粧品は世の誕生から人類と共にあり、歴史上のどんな社会的、政治的、宗教的変化にも耐えてきたのだ」という引用に、著者が応えているかのようである。
 さて、エスティー・ローダーの話をすれば、マーケティング上の革新として述べられているのは、サンプリングへの注力である。いまの化粧品会社がサンプルを配るのは当たり前になっているだろうが、ローダーの物語を読めば、「商品を見てもらう・使ってもらう」ことが何にも優先されており、そこから必然的に小型サンプルに行き着いたのは分かる。現代において、かなり「おまけ」化したサンプルにも言えるか否かは分からないが、ともかく、「商品を見せる」ことへの情熱は、取引を断ったパリのギャラリー・ラファイエットの床に自社の香水「ユース・デュー」をばらまいた、という強烈なエピソードからもうかがえる。考えるだにとんでもないオバサンだが、自社製品を体験すればお客様は買わずにいられなくなるはず、という情熱の物語としては美しい。
 ブランディングにおいてはなによりも物語が大切なのだろう。何しろ彼女らは、自分の名前すら変えてしまっているのだから。

エリザベス・アーデンとヘレナ・ルビンスタインは、異なる道を辿ってそれぞれの職業人生を築いた。アーデンは一八七〇年にカナダの貧しい農家に生まれ、ルビンスタインは同じ年にポーランドのクラコフの中流階級の家庭に生まれている。二人とも、自分の出自をひたすら隠し、貴族的な魅力を備えたイメージを作ろうとした。美容サービス・製品を売るにはその方が都合がいいと思ったのである。たとえばアーデンは、自分の実名フローレンス・ナイチンゲール・グラハムをエレガントな美容院にはふさわしくないと考え、英国の詩人テニスンの詩から「アーデン」を選び、それと「エリザベス」を組み合わせれば洗練された響きになると思い、それを組み合わせた。(220-221ページ)

果たして現代でも、ヨーロッパ貴族のイメージが、豊かな物語になるかは分からないけれど。