21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

W.S.モーム『モーム短篇選』 「マウントドレイゴ卿」

以上纏めてみると、彼には人気のある政治家として成功する資質が豊富にあったのだ。ただし、残念ながら大きな欠点もあった。
 ひどい俗物だった。
(66ページ)

 きのう上巻について書いたので、きょうは下巻のことを書こう。『コスモポリタンズ』をはじめとする、後期の短篇集から取られた作品群で、上巻のものに比べれば、ややこしさ(芸というべきか)も増している。ただ、どんどんマンガっぽくなっていて、連れの女性が高価な料理ばかりを注文するのではらはらする「ランチ」や、ドイツ人を馬鹿にしているとしか思えない(でも物語で馬鹿にされているのはイギリス人女性だが)「冬の船旅」、そしてきょうのメインの素材としようとしている「マウントドレイゴ卿」など、きわめてマンガ的である。つまり、読んでいてそれだけおもしろい。
 「マウントドレイゴ卿」は、引用部に挙げた欠点を除いては完璧ともいえる、でもワーカホリック外務大臣マウントドレイゴ卿が、不思議な力があるとされる精神科医オードリン博士のもとを訪ねる話である。卿は不眠症に悩んでいて、その原因と言うのは軽蔑している労働党の議員が、自分のした下劣な行為を目撃する、という夢を手を変え品を変え見てしまうことだ。しかも、その議員は、どうやら彼と同じ夢を見ているらしい。オードリン博士は、カウンセリングを進めながら、唯一の治療法を提案するが・・・・・・、とこれ以上書くとすべてがネタバレしてしまうので書かないが、精神分析がオカルトにまでいたる、筒井康隆を彷彿とさせる一篇だ。1940年ごろにこのような物語が書けてしまうあたり、モームの先駆性を感じる。そしてやはりなによりも、この短篇を際立たせているのは、完全にマンガ調に誇張されたマウントドレイゴ卿の俗物ぶりだろう。
 ひとコマで前のコマを完全に否定し去るような、日本のマンガの呼吸感が、一体なにに基づいて生まれているのか分からないが、モームは同様の完成に恵まれていたと言える。だからと言って、どうということはないけれど。

医師は彼女をちらっとみて、口を一文字に結んで読書を続けた。ミス・リードは失望しなかった。
「でも読書はいつだって出来ます。私はよい読書よりよい会話が好きですの。先生もそうでしょう?」
「いいえ」
「なぜでしょう? どうぞわけを教えてください」
「わけは言えません」
(「冬の船旅」)