21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

A.ベンダー『燃えるスカートの少女』 第五話「マジパン」

彼はきみはいまでもおれの物か? 俺はいまでもきみを愛しているけれど、きみはおれを愛しているの? と訊いた。それで私は、私はあなたの名前すら知らないしそれをいうなら姓だって知らないし、それにあなたは私たちの愛を海にぽちゃりと落としちゃったんだからいったいどうしてまだ愛さなくちゃいけないわけ? といった。私は両手を腰にあてて挑戦的な態度をとった。(「指輪」)

「さびしいと思っていた世界に抱きしめられること」と題された堀江敏幸氏の巻末解説は完璧である。こんなものを書かれると、駄文を連ねることがあほらしくなるくらい。「そこがいちばん大切なのだと直前まで知らずにいた部分を、エイミー・ベンダーは永久凍土でできた楔のような言葉でまっすぐに突き刺す。とんでもなく冷たいはずなのに、刺された私たちの胸にはその瞬間じわりとした熱の波紋がひろがり、今度は予想外のあたたかさにとまどうことになる」(263ページ)。彼女の小説の感覚を、これ以外の言葉で表現することはおそらく不可能だろう。
 さて、「マジパン」は、不思議な、あるいはグロテスクな輪廻の中で、家族愛を語る物語である。タイトルにあるマジパンは、おばあさんの葬式の時に出されたマジパンで、そんなものを冷凍保存していた母も母だが、物語のなかではこのマジパンを祖母自身が「おいしい」と言いながら口にし、孫娘は死んだはずの祖母が作ったスープを頬張る。その間、父の腹にはずっと胃と同じサイズの穴があいている。

死なないで、と私はいった。
すぐじゃないわよ、と母はいった。わたしはとても健康だもの。しばらくは大丈夫。でも死ぬときになったら、と母はいった。あなたは、わたしに行かせてね。
(69ページ)