21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

柳下毅一郎『興行師たちの映画史』 第一章

見せることこそがエクスプロイテーションの目的である。そこには抑制の美学はない。

柳下毅一郎の文章は、きわめて扇情的なテーマ(殺人、見世物)ばかりを扱いながら、非常に格調高い。とくに、「見世物」こそリュミエール兄弟以来の映画の源流であると説く、本書の第一章は美しい。エクスプロイテーション(搾取)映画とは、狭義には「一九二〇年台から五〇年代まで、アメリカにおいて、スタジオ・システムの外で作られた映画」のことであるが、観客が見たいものを知り、自らがついた嘘を自分でも信じこむことによって、観客と一体化する興行師たちの映画一般を指している。人間本来の欲望、エキゾチズム、ハリウッド映画が映し出せないものを見せるのが、エクスプロイテーションなのだ。
 さて、ドラマを感じるのは、リュミエール兄弟の映写会に参加したその場で、フィルマトロジーを買おうとしたメリエスが、そのときは断られながらも、兄弟とは別種の興行師として映画の先駆となる、という部分である。リュミエール兄弟が駅や工場の出口を映そうとしたのに対し、メリエスは月旅行や深海調査を映したという。
 しかし、リュミエール兄弟の会社も、映画発明以前のドレフィス事件を映したフィルムを作ることになるのである。
 あ、第一章をまとめただけになってしまった……

(『興行師たちの映画史 エクスプロイテーションフィルム全史』 青土社