21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

I.マキューアン『土曜日』 第四章

そろそろ始まるテレビニュースが引力のように誘惑するのだ。世界との関係を絶やしたくないという衝動、全世界を覆う不安の共同体の一員となりたいという衝動は現代の病だ。ここ二年でその習慣はいっそう強まり、生産克視覚的衝撃の大きい場面が繰り返されるにつれてニュースバリューの基準が変化してしまった。政府の勧告――欧州ないし米国の都市への攻撃は避けがたいという――は単なる責任逃れではなく、刺激的な約束でもあるのだ。みんながそれを怖れているが、人間の集合意識の奥にはより暗い欲望が、自己を罰したいという強い衝動と冒涜的な好奇心が潜んでいるのだ。(213ページ)

 何不自由ない生活をし、時には辛辣な意識をもつイギリス人ペロウンの冒険は、ひと昔前の映画「ケープ・フィアー」のような展開をする。さらにその物語を作者マキューアン自身が、よりシビアな眼で見ている。ペロウンがその精巧な手さばきで作る、あまりおいしそうでない魚シチューが煮詰まるなかで、生活そのものへの「やましさ」に常に言及しながら物語は進む。文学の力も、家族愛も、大団円へと物語を流す潮流としては作用するが、美しい土曜日が、さまざまな不快に邪魔され、すり減らされながら終わっていくことを止められはしない。

眠りはもはやひとつの概念ではなく実体的なもの、いにしえからの移動手段、自分をゆっくりと日曜日へ運んでゆくコンベアベルトである。(第五章)

 この小説を読み終えると、不完全燃焼のような思いを抱くが、そもそもマキューアンが書きたかったものは、この不完全燃焼そのものではあるまいか。幸福という罪悪感、休息という罪悪感。それをマキューアンは「病」と呼ぶ。この小説は徹底的にシニカルな、アンチ・物語、でもある。