21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

禁煙の話(2)

大福 男は会社があり続けると思い込んでますからね。でも会社にだって寿命がありますから。六十年ぐらいと言われています。
かっぱ 営業成績が上がり続けるなんてあり得ないじゃないですか。そんなのいつか破綻しますよ。そんなもんにアイデンティティを求めて、大丈夫なんでしょうか。
大福 いや、今年あたり、大丈夫じゃないって気づくんじゃないですか。不景気になって時間ができて、いろいろ考えてハッとする人が増えるような気がする。そのことで、人がやたら攻撃的になるとイヤですね。

木皿泉二度寝で番茶』 双葉文庫

 禁煙19日目。禁ニコレット8日目。
 パリは朝から雨模様で、そのためか、昨日よりも鬱っぽかった気がする。でも、それは、明日のことを考えなくていい土曜日より、明日のことを考えないといけない日曜日の方が気分が悪いという、いつもの状態に戻ったのかも知れない。
 多少、やる気がないくらいで、「鬱」とか言っていて、ほんとうの病気の人に申し訳ないくらいなのだが、ここのところなんだか資本主義にうんざりしている。その状態を鬱と呼んでいる。いや、別に、共産主義になりたいわけではないのだけれど、世間のいろんな閉塞感を産み出しているのは、実は資本主義の行き詰まりなのではないかなあ、と思えてきて、なんだか企業活動に想いが及ぶと気持ちわるくなるのだ。サラリーマンとして、致命的ではあるので、その意味では鬱なんだけれど。
 何がそんなに嫌なのかと言うと、「コレ、欲しいでしょ?」という顔をしている商品が嫌なのだ。「旨いでしょ?」ではなく、企画書に「かくかくしかじかの理由で旨いです」と書いてある姿が見えるような商品があって。いや、「あって」、というより確実にそこら中に蔓延していて、それに出逢いたくないときは外出もしたくない、そんな気分にさせてくれる物たちのことである。
 言いたいことが伝わらないと困るので、そういう物の対極に位置している物を例示しておく。今、想い出せる感じでは、カップヌードルチリトマト味と、Dr.Pepperの二つが挙げられる。二つとも、私が求めていないのに発売された。どこか、知らない星からやって来たのである。しかも、ある程度以上の宣伝費が投入されたらしく、それぞれ一回ずつ以上は口にした。その上で、好みでなかったので、忘れてしまった。多分だが、国民の大半がそうであったらしい。そんなわけで今ではまず見かけないが、見かけなくなるとなんだか実は旨かったような気がしてくる。
 「新商品」との出逢いはそういう風でありたい。一方で、私が嘔吐感を催す新製品の方は、この二つほどのインパクトがないので、名称も記憶に残らないし、味も可もなく不可もなく、でも、新発売時にはガッツリ宣伝していたので、「ヒット商品」という名称を与えられて、その実「チリトマト」より早く消えて行くのである。ちなみに、嫌な予感がして、いま調べたら「チリトマト」味現役だった。Dr.Pepperが生きているのは知っていたが・・・まあいいか、書いちゃったし。
 本でいうと、いま気持ち悪いのはビジネス本なのである。それも、まあ、ユニクロの柳井さんとか、自分ちの商売について書いているやつはまあいいとして、外資系の(多くはコンサル系の)会社で十何年か働いて、偉くなったような人が、世界と人生を速読して全部分かりました、みたいな顔して書いているやつが気持ち悪い。思えばその昔、「気持ち悪い本」と言えば、辻仁成の本とか、セカチュ―とか、自意識の塊みたいなやつが存在していたのに、そういうのが思いつかなくなって、おそらくは真っ当にサラリーマン生活を送って来たであろう人の本が、一番気持ち悪いのである。
 そう言う状況って、生きる気力を奪わないか? なにしろ、「普通がいちばん幸せ」って言えなくなってしまうのである。とにかく、現状打開のために、明日Dr.Pepper見かけたら買って飲もう。