21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』

弁護人は、なぜ事件と無関係な先祖のことなど聞いたのか。実はこの質問は、次に続く一連の質問への周到な伏線だった。甘粕の答弁が終わると、弁護人はすかさず聞いた。
——被告人は日頃からたいへん子どもを愛しているようですが、それはなにゆえですか。
(中略)
弁護人は甘粕の答弁が終わるや、それまでの優しい口調とは打ってかわって、舌鋒鋭く詰問した。
——かくも子どもを愛する被告が、わずか七歳になったばかりの子どもを殺害するとは、いかなる理由か。部下を庇っているのではないか。裁判は陛下の名に於いて行うものであって、神聖でなければなりません。しかも私はあなたの母上から頼まれました。あの子に限って子どもを殺すはずはない。このことだけは絶対に事実を述べるようあなたから伝えてくださいと、涙を流しての切なるご依頼です。
(第二章 憲兵大尉の嗚咽)

 最近、「モスクワひとりぼっち」駐在員の孤独な夕食の相手は、動画サイトで見る「BSマンガ夜話」がつとめてくれているのだが、西原理恵子の回で、「西原理恵子はオヤジころがしが巧い」と言われていた。つまりオヤジを泣かせる手練手管に長けているということだけれども、その意味で、佐野眞一は「サラリーマンころがし」が巧い、と思う。
 実際、この甘粕正彦が泣くシーンで、私はちょっと泣いた。つまり正義感が強すぎる人間が、じぶんの意思に反して、もうひとつの「正義」に殉じるシーンに共感したのだ。そしてしかも考えてみれば、この「正義」は、どちらにしても歪んでいる。現実に甘粕が大杉栄夫妻と、その7歳の甥を手にかけていようがいまいが、かれはその「責任」を取ることを自分で決断しているのだし、そもそも軍人を職業にしている時点で、人を殺すことを仕事にしているのではないか。(そういうことは甘粕自身のセリフとして、後半にも出てくる)。
 あとついでにもうひとつ蛇足するならば、そこに共感した私自身も歪んでいる。そもそも軍人とサラリーマンの殉教がおなじパースペクティヴにあるわけがないし、だいたい私はなぜに自分は正義感がつよいと思いこんでいるのか。
 このへんの疑問を抱かせずに、思わず涙させてしまうところが、「サラリーマンころがし」だなあ、と思う所以である。いや、この本、好きなんだけど。

(『甘粕正彦 乱心の曠野』 新潮文庫、2010年、原著2008年)