21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

今月読んだ捨ておけぬ三冊(12〜3月篇)

そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に徐々に環境に働きかけ、両手で、器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いていくのだ。
ロバート・A・ハインライン夏への扉』 福島正実訳)

 なかなか気を取りなおすに至りませんが、とりあえず始めるとしましょう。モスクワでは大通りに「SAVE JAPAN」という広告が出ていたり、空港でやたらとガイガーカウンターをあてられた出張者が怒ったり、ロシア人社員が「日本の子どもたちに空き部屋を提供したい」と言ったりしています。電話と、出張者の様子でしか日本のことが分からない、という状況をあらためて感じています。
 ひとつ気になるのは、日本のことを聞いてくるロシアの人がみな、「ロシアの報道は本当?」と聞くのですよね。私は朝のTVニュースとネットのニュースしか見ていませんが、ロシアの報道は英語メディアに比べても落ちついていて、NHKなどからのニュースを淡々と流しているように見えます。一般のロシア人の優しさ含め、こちらで働く身としては大変ありがたいことですが。

12月 G.オーウェル『一九八四年』、W.シェイクスピア『リチャード三世』、I.マキューアン『アムステルダム

 オーウェルについては色々書いたので、そちらを読んでもらうとして、「イギリス文学フェア」を開催していた12月、おおきなヒットは『リチャード三世』だった。松岡和子さんの訳も読みやすく、歴史ロマンにはまり込むことだできたのだけれども、やっぱりここでも気にかかるのは「歴史は改竄される」という、『一九八四年』とおなじモチーフ。第三幕で幼い皇太子エドワードが、「だけど、公の記録には残っていなくても、本当のことは時代から時代へと遠い子孫まで語り継がれていくと思うな、この世の終わりの日まで」と呟くのに対し、リチャードが「幼いうちから賢いものは長生きしない」と傍白する。マキューアンの『アムステルダム』は、ほとんどドタバタ喜劇だがおもしろい。

1月 伊藤計劃『ハーモニー』、円城塔Self-Reference Engine』、大森望編『逃げゆく物語の話 ゼロ年代日本SFベスト集成F』

 うってかわってSF(マイ)ブームが到来。『ハーモニー』は断続する核戦争で地球が汚染され、遺された人類は高度医療化社会に住む、という今となってはかなり縁起でもない話。でも、いかに清潔な社会が到来したとしても、その場合に「最終的に残る病」=エゴ、つまり人間の自我ではないか、という問いかけは恐ろしくも美しい。『Self-Reference Engine』に関してはちゃんと理解できた自信がないのだけれど、連作短篇で外側から内側に向かって近づいていくような感覚は楽しかった。大森望の2巻本アンソロジーはハズレがなく、「S」と「F」で1000ページもあるのだけれどすいすい読めてしまった。

2月 J.バーンズ『10と1/2章で書かれた世界の歴史』、『伊藤計劃記録』、馬場マコト『戦争と広告』

 バーンズの本は第10章の天国の話が忘れられない。むろん「天国とは何か?」という問いに対して考えることは色々あるのだが、それよりもこの章を支えているのは、いくら食べても飽きないすごく美味しいピンクグレープフルーツだ。なんとなくこの、夢の中での瑞々しさへの願望、というのはすごく理解できる。私自身もむかし、浴槽の中でホースからフルーツジュースを飲む、という夢を見て、どう考えても拷問されているような絵柄なのになぜかとても幸せな気分になったことを思い出した。おそらくよっぽど現実が乾いて見えているのだ。この本は好きな章をとりあげて色々書きたかったが、時機を逸した気もする。
 さて、『伊藤計劃記録』に収められている「人という物語」は、私にとって高橋和巳の「悪について」に匹敵する名文だが、いまこの状況を迎えて、あらためて読み返したいのは、彼の映画評に込められた未来論か。「マイノリティ・リポート」を観て、「未来は風景ではない」というときに、この人の見ている未来の過不足のなさが大変に心地よい。
 一方、『戦争と広告』は戦前戦後の輝かしきデザイナー、広告業界人たちの、いわゆる「黒歴史」について書いた本で、ノンフィクションではなく小説です。テイストとしては、ねじめ正一荒地の恋』などに近い小説として読めばとても面白いです。

3月 飴村行『粘膜蜥蜴』、佐藤亜紀外人術 欧州指南編』、J.G.バラード『クラッシュ』

 3月はいつもながら異様に忙しい月で、必ず飛行機のなかで読んだ本だけになってしまうのだが、意外にヒットだったのは成田空港で買ったホラー『粘膜蜥蜴』。スプラッタから密林紀行から決闘シーンまでありありのエンターテイメントとして完成されているが、注目したいのは飴村行の書く格闘シーンのうまさ。格闘シーンについてはマンガが行きつくところまで行きついてしまい、小説家は書くのを諦めたのかと思っていたのだが、飴村先生のパンチは効きます。その実、ワンアクションを「、」から「、」までで区切る、という単純なことしかやっていないようなのですが、実に鯖折りが効きます。終わり方も好きです。
 『外人術』は膝を打つ一冊。簡単に「国際交流」とか言わないでよね、という気持ちをそのまま書いてくれた観がある。もう一冊は、さすがに乗り物の中では読まなかった『クラッシュ』だが、これも痛さの描写がはんぱない。

 さて、4月はまた延々SFを読んで暮らしております。ひさびさに『ソラリス』を読みましたが、この本には思うところがたくさんあるので、できれば次回更新は『ソラリス』をと思っています。