21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

私のイギリス文学ベスト10(使用前)

 ご無沙汰しておりました。古井由吉フェアも終わらないが、なんだかひとつのテーマで本を読み続けるのが面白くなり、「各国別」というのはどうだろう? と思いついた。もちろんずっと前から主流は、「英語文学」あるいは「フランス語文学」という言語別のくくりかたであり、越境の時代にそれはそれで正しいと思うのだが、やはり同じ(あるいは、似たような)景色を見、同じ気候風土の中に生きた、というのも、ひとつの特徴を示すかも知れない。
 そんなわけで、第一回目のテーマは「イギリス」だ。悲しいかな大学の文学部では、どうしても英文科≒英米文学科でくくられがちだが、ここにも何回か書いたとおり、イギリスという国は、他の英語圏の国と比べてもきわめて特殊であると思う。そこで、今まで読んだ中で印象に残っている10冊を予め「使用前」、として挙げた上で、10冊くらいまとめて読むと、これがどのように変わるのか検証してみたい。ちなみに、私の中での「課題図書」は、「読書メーター」の「積読本」の欄に挙げてあるので、参照願いたい。

W.シェイクスピア『オセロー』
J.オースティン『高慢と偏見
S.ブロンテ『嵐が丘
C.ディケンズクリスマス・キャロル
T.ハーディー『テス』
S.モーム『月と六ペンス』
C.ドイル『四つの署名』
K.イシグロ『日の名残り
I.マキューアン『贖罪』

 読書量が少ない悲しさ、作家ごとに挙げると9作になってしまった。(ちなみにスウィフトとかはアイルランドですから)。
 さて、副題と言うか、古井由吉フェアを踏襲して3つのキーワード。このことを計画してから、すでにオーウェルの『一九八四年』と、シェイクスピアの『リチャード三世』を読んだのだが、イギリス文学の因果観って他のヨーロッパ文学とは明らかに異なっている。つまりドストエフスキーの世界であれば、そこは混沌としながら、最終的には神の王国へ向かっていることが明らかなのだが、「きれいはきたない きたないはきれい」という『マクベス』の魔女たちが示すとおり、シェイクスピアの世界においては、因果が必ずしも直線的ではない。歴史の転覆、過去の隠蔽ということが、あたかも所与のことであるように書かれているのは、オーウェルにも共通している。そこで一つ目は、安易でも「因果」。二つ目は何回も書いてしつこいけれど、やはり「キャラクター」。最後はもうすこし茫漠としたものがよろしかろう、ということで「空」、でいってみたいと思います。