21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

雑感:英語とキャラクタービジネス

 唐突だが、iTunesのおおきな機能は「貯める」ということにあるのではないだろうか? 私はかならずしもアップルの信奉者ではないし、どちらかと言えば日本製品を買わなくては、と思うほうで、実際最初に買ったメモリーオーディオはTOSHIBAのものだった。ただ、結局iPodに乗り換えてしまったのは、はやくから30GBという大容量を実現していたことによると思う。
 好きな音楽や、映像、あるいは持っていないけれどiPadのように本までをどんどん貯蔵していく、というのは脳の機能ににているのだ。はたして世間一般の人が、アリュージョンを多用する私のようにスノッブかどうかはわからないけれど、だいたい多くの人は脳内にiTunesなりiBookを持っていて、好きな音楽や言葉を貯めこんでは、それを再生(引用)しつつ生きている。つまりiTunesは、ある意味脳のアナロジーなのだ。嫌なことは記憶させずにおいて、好きなことだけ記憶させられる、理想的な脳として。
 さて、別にアップルのビジネスモデルを語りたくて稿を起こしたのではないから、iTunesについてはこの辺にしておくが、つまり人間の脳(あるいは、その記憶機能)がiTunesに似ているとすれば、世界中の多くの人がこのiTunesの中に、英語でものごとを貯めこんでいる。
 英語を話せるとか、読めるとか、そういう部分は別にして、たいていの日本人は、ジョン・レノンのImagineを口ずさんだり、ハムレットの"To be or not to be"という言葉を引用したりできるはずだ。このことは、ビジネス言語として英語が世界を席巻していたり、むかし大英帝国が世界の大半を征服していた(あるいは、しようとしていた)、ことの結果と言えるかもしれないが、ひねくれて裏返してみれば、世界中の人が脳内のiTunesに英語を貯めこんでいるから、グローバル・ビジネス言語としての英語が通用する、と言えなくもない。
 つまりは第二次世界大戦の前から後にかけて、世界中の多くの人びとが、政策言語としての英語を強制されていたとして、独立後にそれを「捨てる」ことは比較的容易だったのではないだろうか。むろん、大アメリカ帝国が世界を支配していたりもしたのだけれど、ソ連崩壊後、旧共産圏の人びとが、おどろくほど早くにロシア語はおろか、いまわしいロシア語に響きが似ている自国語すらも捨て、思いっきり英語化していったのを見れば、人びとが英語に対する「嫌悪感」さえ持っていれば、「英語の世界」は訪れなかったと妄想することくらいはできる。
 それを止めたのが、脳内のiTunesであり、イギリスという国のキャラクター創造力なのかも知れない、と思う。何度も書いているけれど、イギリス人のキャラクターを作って定着させる力は群を抜いていて、ピーター・ラビットも、くまのプーさんも、ドリトル先生も、シャーロック・ホームズも、007もロミオとジュリエットも、みんなイギリス生まれなのである。たしかにロシア文学は豊穣な世界を持っていて、たとえばドストエフスキーを超える作家などなかなか見つからないけれど、『罪と罰』は、ラスコーリニコフとソーニャをフューチャーした物語であるよりは、そこで形づくられる思想、というよりも雰囲気がすぐれている物語なのだと思う。日本は、光源氏という超越的にすぐれたキャラクターを持ってはいるけれど、いささか生まれるのが早すぎたし、貫一・お宮組VSロミオ・ジュリエット組の時間無制限タッグマッチを行えば、開始数秒で必殺「貫一キック」をジュリエットに貫一がお見舞いしている間に、お宮がロミオに寝返るだろう。
 このテの妄想はいくらでもできて、たとえばジョン・レノンミック・ジャガーとがフランス人だったら、もう少し世界の言語事情は混沌としていたかもしれないし、ソ連が自分に逆らう国に戦車を差し向けるかわりに、テレビで毎日「チェブラーシカ」を洗脳するほど流し続けていたとしたら、旧共産圏はロシア語とルーブルで単一の経済圏を築いていたかもしれない。
 日本という国も、菅直人よりはハローキティと『ドラゴンボール』の悟空の方が世界的に知名度が高い、というすばらしい土壌を持っている。(これは、意外にすごいことで、チェブラーシカプーチンより、タンタンがサルコジより知名度が高いなどということはあり得ず、オバマミッキーマウスは相当にいい勝負である。あ、タンタン、ベルギー人だ……)。これからどんどん、世界中の人びとの脳内iTunesでの占有領域を広めていけば、日本語が平和裏に世界を征服することもできるのではないか。あきらかに、妄想が過ぎているものの。