21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

T.カポーティー『ティファニーで朝食を』

一九四三年十月の月曜日。空を飛ぶ鳥のように浮き立った美しい火だった。僕らはまずジョー・ベルの店でマンハッタンを飲んだ。僕のめでたいニュースを耳にすると、彼はシャンパン・カクテルをごちそうしてくれた。そのあとで僕らはぶらぶらと五番街まで歩いていった。そこでは行進(パレード)が行なわれていた。風にはためく国旗も、軍楽隊の奏でる威勢の良い音楽も、その靴音も、戦争とは無縁のものに思えた。それは僕の栄誉を讃えるためのファンファーレに聞こえた。(69ページ)

 村上春樹の翻訳は、細部がきわだっている。たとえるなら、一粒一粒が輝いて、上手に炊けたご飯のようだ。一方で、相変わらず訳者解説はおもしろくないのだが。
 本作の妙は、なんといってもホリー・ゴライトリーという女性の造詣にある。下手をすると馳星周の小説みたいな経歴を持つ彼女だが、嫌味なしに、鮮やかに描かれていて、なにより美しい。彼女といい、ナスターシャ・フィリーポヴナといい、ボヴァリー婦人といい、文学が惚れる美女には「痛い」人が多い。主人公は(あるいは読者は)、ページが進むにつれて、彼女たちの不思議な断片を広いあつめながら、その魅力の虜になっていく。
 スーツケースに「Traveling」と書いたホリーの魅力は、彼女は(あるいは僕たちは)、どこへでも行ける、ということを少しずつ見せてくれることだろう。ページの若いうちから、いまはアフリカにいるらしいという彼女は、それでも最初はちっぽけに見える。ただ、およそ10ページ毎に期待を裏切り、読者の視野を拡げてくれる。ただし彼女は世界をめぐりながら、それでも小ささは大きくならない。
 この、限りなくあざとい小説を、限りなくあざとい、村上春樹風味の翻訳が支えている。あざとさも、時には美しいものなのである。

「ねえ」と彼女は僕の顎の下に手をあてて言った。「あなたの小説が採用されて、とても嬉しいわ。嘘いつわりなく」

(『ティファニーで朝食を村上春樹訳 新潮社)