21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

1月の読書メーターまとめ

1月の読書メーター
読んだ本の数:14
読んだページ数:4851
ナイス数:18

女神のタクト (講談社文庫)女神のタクト (講談社文庫)感想
しゃべくり漫才のような会話のテンポに浸るうちに、実家のこたつでテレビドラマ見ているような感覚に包まれる、関西人には懐かしい感じの小説です。音楽の話なのに音楽シーンまったく力が入ってないとか、いろいろツッコミどころはあるのだけれども、何をおいても昭和育ちに優しい安心感が自然に醸し出されているところが好きで、否定が先に立ちません。
とはいえ空気だけの作品ではなく、塩田さんの作品を読むのは『盤上のアルファ』『罪の声』とこれで三冊目ですが、「人生の落としどころを探す」ことにテーマがあるように思っています。
読了日:01月29日 著者:塩田 武士
仕事消滅 AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること (講談社+α新書)仕事消滅 AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること (講談社+α新書)感想
前半の3割くらいは面白かったのですが、後半にいくにつれ、考察はあらびき、言葉は大味という感じで読んでいて疲れました。「共産主義が失敗したのは、人間が本能的に富と権力を求めるから」「日本の政治家は信用できない」という薄っぺらな感想はそれ自体、まあ良いとして、その考え方でどうして「Aiの利用権を国有化し、国に支払うAiへの賃金を人間に再配分する。やり方は官僚が考える」という結論が成立するのか不思議です。
読了日:01月29日 著者:鈴木 貴博
寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)
読了日:01月27日 著者:ジョン・ル・カレ
男と女のワイン術 2杯め ―グッとくる家飲み編 (日経プレミアシリーズ)男と女のワイン術 2杯め ―グッとくる家飲み編 (日経プレミアシリーズ)感想
若干、タイトルがキツめですが、スーパーで手に入るワインを基準に、産地別、品種別の特徴をわかりやすく解説した、非常に実用的な本で、読みがいがありました。
読了日:01月25日 著者:伊藤 博之,柴田さなえ
時代小説盛衰史〈下〉 (ちくま文庫)時代小説盛衰史〈下〉 (ちくま文庫)
読了日:01月23日 著者:大村 彦次郎
寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)
読了日:01月20日 著者:ジョン・ル・カレ
新装版 鬼平犯科帳 (9) (文春文庫)新装版 鬼平犯科帳 (9) (文春文庫)
読了日:01月16日 著者:池波 正太郎
弥勒世 下 (角川文庫)弥勒世 下 (角川文庫)
読了日:01月14日 著者:馳 星周
何はさておき (角川文庫)何はさておき (角川文庫)
読了日:01月13日 著者:ナンシー関
スパイたちの遺産スパイたちの遺産
読了日:01月13日 著者:ジョン ル・カレ
おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)感想
なんだか腑に落ちないことはなはだしい、と言うか、『ドビュッシー』のラストが頭を一撃されるような衝撃だったのに対して、本作のラストは「ふーん」みたいな感じでした。晶という名前のボクっ子が実は女だと見せかけて、さらに裏をかいて男でした、くらいのオチはあるかと思ったんですが、普通に何のためらいもなく男だったし、親が誰かという話も何のひねりもないように感じました。
読了日:01月12日 著者:中山 七里
大阪暮らしむかし案内 江戸時代編:絵解き井原西鶴大阪暮らしむかし案内 江戸時代編:絵解き井原西鶴感想
西鶴浮世草子の中から、エピソードと挿絵を解説しつつ、当時の風俗、経済、社会の様子から文学論まで手広く語る本で、とても面白く読み進めました。
西鶴が活躍したのは1680から90年代ということは、ヨーロッパではルイ14世の最盛期。そう思って読むとまた風俗部分の解説が興味ぶかいです。
読了日:01月06日 著者:本渡 章
ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)
読了日:01月06日 著者:高階 秀爾
ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
読了日:01月02日 著者:アガサ クリスティー

読書メーター

K.イシグロ『わたしを離さないで』感想その③語り手としてのキャス

 「信用できない語り手」という、どちらかと言うとチープな評論用語がある。イシグロ作品についても使う向きがあるようだが、そもそも一人称の語り手を相手にして、記憶の正確さや語りの公平性を求めることには、無理があるように思う。だから、「信用できない」とまで言うのは、カイザー・ソゼ級のペテン師に出逢うまでとっておきたい。イシグロ作品に使うなら、かろうじて『忘れられた巨人』だろうか。もっともあれは三人称多視点だが。
 さて、問題はキャスの語りだが、彼女は自分の記憶の正確さを、しつこいくらい強調する人である。第一部で、「同級生の一人」とか「ある女の子」くらいで済むキャラクターたちを、すべて名前で呼んでいるのも彼女だ。トミーやルースの介護人になり、ヘールシャムでの想い出を語るさい、かれらと記憶が食い違うことがあっても、キャスは常に、「自分の記憶が正しい」としている。第二部でルースと決定的に仲違いし、コテージを出て行くときも、心の奥底ではどうあれ、ルースがヘールシャムのことで「忘れたふり」をしたことが仲違いの理由である、としたくらいだ。
 過去の記憶のことになると、キャスが偏執狂的になるのは事実であり、このことによってむしろ、読者には、彼女が記憶を歪めているような印象を与える。しかし、ルースとの仲違いの場面にもう一度目を向けるなら、キャスの語りは、いわゆる「信用できない語り手」がするように、過去の事実を歪めているのではなく、むしろ自分の感情から読者の目を逸らそうとしているのだとわかる。
 たとえばこの仲違いの場面でキャスは、ルースが「ルバーブ畑を忘れたふりをした」ことを問題にして、あまり長くないシークエンスの間に三回もそれを批判するが、実際にはこの時、もっと大きな事件が起きている。ルースはキャスに対し、「誰とでもセックスするようなあなたは、トミーの恋人に相応しくない」というあからさまな攻撃をしたにもかかわらず、彼女が怒りを露わにするでもなく、感情を隠していることに苛ついて、「なんだってルバーブ畑が出てくるのよ。言いたいことをさっさと言いなさいよ」と感情を爆発させているのである。
 キャスの語りについて考えるとき、第一部の時系列を見直すことが役立つように思う。キャスは、「古い記憶を整理しておきたい」(第四章)と言っているが、整理したはずの語りの時系列は、かなり複雑に入り組んでいる。
 第一部の九つの章は、縦横無尽に時間軸を行き来するように見えて、実はいくつかの軸の周りを回っているように思う。冒頭に語られる「年長組二年の夏」、つまり十三歳の夏の、キャスとトミーのエピソードがひとつめの中心軸となり、さらに、(おそらく)十一歳の冬、キャストルースのエピソードがもうひとつの軸を構成する。それ以外の時間は、エピソードの補完のため、それらの軸を衛星的に周回している。七章以降は、「二十二番教室のルーシー先生」をはじめとして、十六歳のときのエピソードが中心だが、これはどちらかというと「十三歳より後に起こったこと」という扱いであると思う。
 十三歳の夏に起こったこととは、大まかに整理するなら(1)癇癪持ちでいじめの対象だったトミーにキャスが助け舟を出し、それをきっかけに二人の距離が近づく、(2)ルーシー先生の言葉で、トミーは癇癪を起こさなくなり、キャスと意見交換をするようになる、とまあ、たったそれだけのことである。だが、キャスにとってトミーが大切な人になったのは、間違いなくこの夏であり、それはおそらく、他の生徒たちが口にすることのない、自分たちが生きる理由について、二人が初めて本音で語ることができたからだろう。そして、ヘールシャムの記憶が大切なものになったのも、この夏があったためと言える。
 それほど事件が起こらないトミーとのエピソードに比べて、ルースとの間には、長いスパンで複数の事件が起きる。(i)七歳のとき、ジェラルディン先生の秘密親衛隊を結成するが、キャスはルースと気まずくなって途中から仲間はずれにされる、(ii)その三年後、ルースが筆入れをジェラルディン先生のプレゼントのようにして見せびらかす、(iii)キャスは周到に計画を立て、それがプレゼントでないことをばらす、(iv)キャスが大切なテープをなくす、(v)ルースが代わりのテープをくれて、気まずくなっていた関係が修復される。この作品で最も印象的な、「わたしを離さないで」の音楽をバックに、キャスが存在しない赤ん坊を抱いて踊るシーンも、(iv)の付属エピソードとして語られている。
ここで気になるのは、十三歳の夏であることが明記されているトミーとのエピソードに比べて、ルースのエピソードは時系列がそれほどはっきりしないことである。起点となる(i)については「わたしたちが七歳、年内に八歳になろうという頃」とキャスが言っている。(なお、これはひょっとしたら全員の誕生日が同じであることを意味しているのかも知れないが、ここでは深く追求しない)。しかし、問題の「秘密親衛隊」については、キャスが「九カ月から一年ほども続いた」ことを前提に、「その三年後(ii)(iii)」、「ミッジの件から一カ月ほどあと(iv)」として話を進めている一方で、ルースは秘密親衛隊自体が二、三週間で終わったとしており、大きな矛盾が生じる。
 なぜルースとここまで記憶が食い違うのかについて、今のところ確からしい仮説はない。ただし、キャスにトミーとの記憶が額縁に入れて飾られたように固定のものであるのに対し、ルースとの記憶は不定形のものであり、必ずしも彼女の言うことが正しいわけではない、と言えるだろう。