21世紀文学研究所

1サラリーマンの読書日記です。

復帰

およそ一年間のご無沙汰でした。実を言いますと去年の暮れ、モスクワから日本に帰国しまして、それからなんとなく書けずにいたり、将棋に夢中になったりして、なんだか一年も経ってしまいました。
最近仕事の方は、前にも増して忙しくなったのですが、自分の時間がなくなってくると、かえって趣味に対して、あせりが生まれるもので、あらためて何か書いてみたい気持ちになっております。それでもって、最近気になっているのが、あまり冊数を読まなくなった本の中で、映画や漫画、あるいは絵画についての評論を面白く読んでいるのに、小説論や文芸評論をあまり読まなくなったことです。
ひょっとしたらいま単に文学がつまらないのかも知れませんが、ひとつ別の理由として思いあたるのが、上にあげたような映画や漫画については、みなが共通の記憶をもっているのに、文学についてはそうでもない、ということです。つまりもうすこし端的に言うと、映画のワンシーンは覚えていたり、「お前はもう死んでいる」という言葉は作品の細部を覚えていなくても口をついてでてくるのに、小説のシーンやセリフはまず出てこない。「いやいや俺は貫一キックを明確に覚えている」、という向きもあるかも知れませんが、やはり小説においては視覚的な記憶をおもに読者の想像力に委ね、さらに情報量がおおいので記憶を共有しづらい、という部分はあると思います。
ただし、不利だからできない、ということはこれは大きな間違いであって、文学的な視覚(味覚でも聴覚でもいいですが)の記憶が共有できていないのは、批評家ないしは物言う読者が、内容にかまけて面白さの伝達をなまけていた、ということも言えるのではないか、と思います。そんなわけで、ちょっと色々書いてみたいと思います。